産後セルフケアインストラクターになるために養成スクールで学んでいる日々なのですが、わたしはどんな場を作りたくて今ここにいるのかなぁということを改めて考えています。
力がなく没個性に?!
出産して母になると…
望む望まぬに関係なく変わるものがたくさん…ありますよね?
今日はその中で、周りからの声かけ、扱われ方に目を向けたいなと思います。
●赤ちゃんの育て方について
急に「教えてくれる」人が現れる…そこかしこに。
いつの間にか「教えられる」立場にされていることが多い。
●「ママさん」になる
誰が作ったか分からない「ママさん像」のイメージで接される。(そもそも「女性」である時点でそれを感じることはありますが、それが加速する気がします。)
確かに初めての育児だと知らないことも分からないこともあります。でも、聞いてもいないのに突然教えられるというのはびっくりしてしまいます。
経験と知識を総動員して決定した赤ちゃんの服装やお出かけのタイミングに、見知らぬ人から突然「こうした方がいい!」と声をかけられたり。
これ…赤ちゃん連れの母ではなくて、1人の大人をこのパターンに当てはめてみると、結構異常なことですよね💦
子育ては正解のないものですが、なぜか自分の知識や経験があたかも正解のように教えてくれる人がいます。
「母」というラベルが増えただけ
人には色々な役割があって、それをラベルにしていくと「母」「インストラクター」「理事」「娘」「孫」など、いろーーんなものができると思います。
でも、それを貼る容れ物は変わりません。
「母」というラベルができても、他のラベルが消されるわけではないし、それまで存在していた容れ物もそこにあり続けています。
当たり前のことなのですが、これを母になった自分自身も見失ってしまうことがあるんです。
「母になったから仕方がないんだ」そう思って他のラベルを剝がしたり。
産後ケア教室≠ママのための教室
マドレボニータの産後ケア教室は、産後女性を対象にしていますが、その内容は「ママのための教室」ではありません。
母となった自分の人生を 自分の選択で歩んでいけるように。
プログラムの中にある対話の時間では、「わたし」を主語にして話をしていくのですが、最初は言葉がなかなか出てこなくても、話したり聞いたりしている内に言葉が出てくるようになります。
なにより、お互いに赤ちゃんやこどもの話ではなくて「じぶん」の話をしているので、短時間でも相手のことがぐっと知れて、もっと相手のことを知りたい、知ってもらいたい、と深い話ができるようになっていきます。
母である前に1人の女性であり、みんな個性や魅力を持った存在であること、自分の考えがありそれを言葉に伝える力があること。
そういったことを取り戻すことで、1人1人が自分の力を発揮できるきっかけを作っていきたくて、わたしは2019年から今に至るまで歩みを進めているんだなと握りしめなおしています。